なんとも素敵なお話がありました。
沖縄の高校生の崎元颯馬(そうま)さん(17)が財布をなくして困っていたときに「かりゆしウェア」を着ていた男性に6万もの金額を渡した件で、その男性が埼玉イムス三芳総合病院在職の「猪野屋博」医師だったと言うことがわかりました。
その猪野屋博さんの経歴や写真等の詳細をまとめました。
ニュースの内容
引用:沖縄タイムス
沖縄工業高校2年の崎元颯馬(そうま)さん(17)が、財布をなくして困っていた時に、お金を貸してくれた見ず知らずの男性を捜していた件で、10日午前、本紙などの記事を見た本人から同校に連絡があった。男性は埼玉県のイムス三芳総合病院で勤める脳卒中神経内視鏡センター長の猪野屋博医師(68)。ネットニュースを読んだ同じ病院の医師から伝えられた。
猪野屋さんは「捜してくれていることに感激して泣けてきた。信じていて良かった」と涙を流しながら喜んだ。学校から恩人が見つかったことを知らされた崎元さんも「今すぐ連絡したいほど嬉しい。あの時の感謝が思いだされて胸がこみあげる」と話した。
母親が沖縄出身で、息子らも県内に住み、たびたび来県する猪野屋さん。20日から沖縄を訪れ、滞在中に崎元さんや学校関係者と面談する予定。「感謝の気持ちを伝えたい」と話す崎元さんは、直接会ってお金を返し、「工業高校生らしく自作の品もプレゼントしたい」と再会を心待ちにしている。
2人の「出会い」は4月24日の早朝。崎元さんは伯父の葬儀で与那国島へ向かうため那覇空港に向かっていたが、航空券代が入った財布をなくし途方に暮れていた。沖縄都市モノレールに同乗していた猪野屋さんは、うなだれている崎元さんに「どうしたんだ」と声を掛け、事情を知った。
なくしたお金は6万円。猪野屋さんは「そんなにかかるのか」と一瞬、疑問もよぎったが、「あまりに悲しい顔なので貸すことは決めていた」。空港駅のホームで6万円を渡し、身元も十分に確認しないまま、出発便へ急がせた。
猪野屋さんは埼玉に戻り、知人らと話題にしたが、「だまされたんだよ」と笑われた。
半ば諦めもあったが「俺は信じている」と思っていた猪野屋さん。10日朝に同じ病院の医師からの電話で崎元さんが捜していることを知った。「やはり沖縄の人は優しいよ。涙が止まらなかった」と、取材にも泣きながら話した。
同日、猪野屋さんから連絡を受けた同校の赤嶺正一郎教頭(53)は「こんなに早く見つかり驚いた。崎元さんと一緒にお礼したい」と話した。(デジタル部 宮城栄作)
信じるものは救われる。と言ういいお話ですね。
高校生の崎元颯馬さんの辛さが猪野屋さんの心を動かしたのですね。普通の高校生ならその様な詐欺を行わないでしょう。あまりにもリアルな表情だったのだと思います。
それに手を差し伸べてくれた猪野屋さんの人柄があっての事だったのだと思いますし、何より私が驚いたのが、ネット環境とSNSが発達した今だからこそこんなに早く見つかったのだと思います。
一昔前ではちゃんと連絡先を聞いておかないとまず猪野屋さんをみつけられなかったと思います。
それが無かった場合の手段としてはできて、新聞の広告を使うくらい。わかりやすく一面なんて使うと100万以上するので、現実的ではないでしょう。
今の世の中よりぐっと見つかる可能性は少なくなります。
それにしてもお互い出合えるのが早まり、良かったですね。
猪野屋博医師のプロフィール

- 名前 猪野屋博さん
- 年齢 68歳
- 経歴等
昭和51年 新潟大学医学部卒
昭和58年 東京大学 脳神経外科文部教官
昭和62年 都立荏原病院 脳神経外科医長
平成 2年 沖縄県立那覇病院脳神経外科部長
平成 5年 新東京病院 脳神経外科部長
平成19年 同院 院長兼脳神経外科部長
平成22年 同院 名誉院長兼脳神経外科部長
平成24年 帝京大学医学部脳神経外科客員教授
平成24年 社会医療法人友愛会豊見城中央病院 脳神経外科部長
平成27年 医療法人ブルースカイ 松井病院 院長
平成28年 イムス三芳総合病院 脳卒中 神経内視鏡センター長
ちなみにイムス三芳総合病院はこちらになります。入間市なのですね。
今までの手術の実績など

実績 ・東京大学医学博士号取得
・日本脳神経外科学会認定医取得
手術実績・能動脈瘤クリップ1500例以上
・脳腫瘍摘出術・800例以上
・頚動脈ステント留置術・300例以上
・コイル塞栓術・160例以上
・内視鏡による頭蓋底腫瘍摘出・30例以上
もの凄い実績を持たれているお医者さんなのですね。
これだけの患者をなおしてきた方なので、崎元颯馬さんが本当に困っていると言うのもわかったのでしょうね。